2010年10月10日日曜日

ノーベル平和賞

劉暁波氏へのノーベル平和賞授賞の件、自分で色々考えたり調べたりし、様々な意見に触れたりしたが、現状の意見。今回のノーベル平和賞の選考は良くない判断だ。一言で言えば「余計な事をした」と思う。

劉暁波氏にノーベル賞を贈る事の意義は何だ?それで彼の思想が彼の意図通りに認められるのか。彼の理想実現の助けとなるのか。少なくとも今贈る意義が有るのか?余計に中国政府を強硬姿勢に追い込むだけではないか。彼に最悪の事態が起きた時の責任が取れるのか。日本は腰抜けだが、ノルウェーは中国と戦ってるな、などという意見もあるがとんだ見識だ。将に政治的に、或いは実際に抹殺されようとしている人物を見殺しにして「高邁な思想」を謳ってるに過ぎない。名誉で腹が膨れるか?名声で理想が実現出来るか?

ちなみにこれを機に、ノーベル賞についても少し調べてみた。例えば、最初にTwitterで呟いた時に間違えたのだが、ノーベル平和賞はスウェーデンではなく、ノルウェーが授賞主体だ。これ以外の各賞は全てスウェーデンが授賞主体だが、正確には賞ごとに選考者が異なっている。平和賞のみがノルウェーのノーベル委員会により選考されている経緯は、スウェーデンとノルウェーの和解の印であるという。

こういう経緯を聞くと、どうも穿った見方をしてしまうのが私の性らしい。なんと言うか、ノーベル平和賞ってのはノーベル賞自身の権威付けに使われてるのではないか。友人が奇しくも「平和の事もちゃんと考えてるんですよ〜というアピールみたいなもの」と面白い表現をしていたが、正にそういう感じじゃなかろうか。今回の平和賞授賞も、劉氏をダシに使ってるのではないかと勘ぐりたくなる。聞けばかのマハトマ・ガンジー氏に平和賞が授賞されなかった理由の一つに「インド一国に対する貢献だから」というものがあったらしい。であれば明らかなダブルスタンダードだ。要は自分たちの権威付けに必要か必要でないか、それが大きな授賞理由になってるのではないか。

現在中国で起きている事は確かに問題だ。問題提起を続ける事も重要だろう。でもあくまで慎重を要する。一国の、一組織の狭隘な価値観で説得したり変化を期待出来るものではない。劉氏の妻が当局に拘束されたという情報も出たりしているこの状況をみても、「ノルウェーよくやった」と単純に言っていられるのか。去年のバラク・オバマ大統領への授賞も多分に胡散臭かったが、今回のは人の安否に関わる分、深刻だ。

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