2010年9月29日水曜日

色覚

最近立て続けに色覚に関するエピソードがあったのでまとめて。

その1
私は赤緑の色覚異常をもってるのですが、最近こんな事があった。細かい状況は割愛するが、とある物の色に合わせて対応する色の四種類の道具を準備するという状況だった。色は定期的に変わるので、参加者はその色の道具を出す事が求められる。ところが私はまず、その四色のうち二色を見分ける事が出来なかった。更に、四色それぞれに対して対応する色の道具を見分けられる自信も無かった。そこで参加者に、今どの道具を出すべきかを教えてくださいとお願いしたのだが、最初はその道具を色名で指定してきた。どうやら色の区別がつかないという概念が理解できないらしい。

そういや思い当たる節があって、色がわからない事と色の名前を間違えて覚えている事、あるいは色の名前を知らない事との区別がつかないらしい人も居た。色覚異常というのは、例えば私の場合は赤と緑が同じ色に見えるのである。ちなみに、「赤が緑に見える」わけでも「緑が赤に見える」わけでもない。恐らく私の見ている世界を正常な色覚の人が見れば、赤でも緑でもない色に見えるのだと思う。ま、その色の区別がつかない事が回り回って、色の名前を知らない、間違えて呼んでしまうという事にも繋がるので、その状況しか認識できないと確かにそういう誤解があるのかなとは思う。

その2
息子が中禅寺湖にキャンプに行ってきた。帰ってきて色々話をしてくれるのだが、印象的だったのは如何に寒かったかという事を伝えてくれたエピソード。一日目にとある木を見ると赤、黄、緑の三色に染まっていたのだが、とても寒かった晩が明けた翌朝に見ると、赤と黄色の二色に変わっていたというのだ。

私も知識としての紅葉はもちろん知ってはいるし、かなり鮮やかな色になれば認識は出来る。しかし、恐らく一晩で変わる程度の色の変化は認知できない。この季節の紅葉の木々を見て、錦と形容されるその景色は恐らくは相当にきれいなのだろうと思うが、残念ながらそれを知る事はかなわない。

その3
会社の研究部門でポスター発表会があった。その中に老眼や色覚異常の見え方を支援する技術というのが紹介されていた。なんでも映像情報の方を補正してやって、老眼の人や色覚異常の人にも見えやすい映像を作成するという試みであった。特に色覚異常の方に興味を持って色々聞いてみたが、当然と言うか何というか別に赤と緑が区別できる様な映像信号を生成する様な話ではなかった。いや、ある意味そう言う話なのだが、要するに色空間のマッピングを変えてやって、色覚異常の人でも見分けのつく色マップに変換するという話だった。

仮にそう言う技術で紅葉の山々の景色を変換してもらって、実際の色とは異なりながらも多彩な色を見られるようになったら、同じように感動が出来るのだろうか。少し興味がある。

2010年9月26日日曜日

日本人のアイデンティティ

某所で呟いていた内容を再整理してみた。


日本のアイデンティティとは何だろうかと考えることしばし。某研修で新渡戸稲造の「武士道」や岡倉天心の「茶の本」に触れる機会があった。そこにはそれぞれのやり方で日本の独自性やアイデンティティについて論が展開されていた。ただ時代背景、即ち海外の列強とどうやって渡り合って行くのか、あるいは現実に脅威を受けているという事などを反映してか、やはり相当に美化が強いように感じる。岡倉の"Asia is one."が戦前の大東亜共栄圏思想に「利用された」という説も読んだが、それは将に美化の産物ではなかったか。あるいは岡倉はまさにそれを意図していたのではとさえ感じた。

研修での意見交換の最中であるが、日本の特徴として他の文化に「染まった振り」をするのがうまい、という意見があった。なるほど言い得て妙かもしれない。明治の文明開化で西洋化したとは言われるが、よく言えば魂は売らない、悪く言えば上っ面だけ真似た西洋化なのだと思う。日本は根底を揺るがすような大きな変革を経験していないのだという意見もあった。直近では明治維新などは単なる政権交代にすぎないという見方もある。海外の所謂「革命」と呼ばれるものとはかなり質が異なる。

そもそも日本は世界でも異例の長期安定政権の多いお国柄なのだとも言われる。平安時代はおよそ350年に渡って貴族の安定政権が続いたし、江戸時代もおよそ250年に渡って武家の安定政権が続いた。これらの時代の特徴は、海外からの影響を排除する傾向にあったという事ではないか。平安時代は隋唐の影響下から脱しようとした時期であるし、江戸時代は言わずもがな鎖国を続けた時代である。海外との交流が無ければ独自に文化を発展するしかない。日本は人口も必ずしも多くなく、資源にも恵まれた国ではないので文化の発展速度は諸外国のそれと比べると遅いと言っていい。事実、文化的発展の加速は常に海外からの刺激による物だった。

確かに海外からの刺激によって急激な発展を遂げる事はあるが、価値観の根底を揺るがす様な変化をあまり好まない、それが日本人の本質であるように思う。そんなものは幻想で、本質などないのかもしれない。ただ、他国の人からどういうステレオタイプで見られているのかは意識しないといけないだろう。ある人は「いつもヘラヘラしている国」という強烈なステレオタイプを提示した。変わらずにその場をやり過ごせれば、また昨日と同じ日が来ると思っている、それが日本の本質なのか。2ちゃんのコピペでもあったような気がするが、原爆を落とされても、ミサイルを向けられても、領土を奪われても、不当な謝罪を求められても、お金は出すは援助はするは、謝罪はするは。本当に食べ物のことしか怒らない国かも。今回の尖閣の話もまたその一事例として残るのだろうか。

2010年9月25日土曜日

尖閣に関する諸々

昨日の詹容疑者釈放以来、Twitterやらブログやらなんやらで、色々な意見を目にする。色々とはいえ、多くは日本の弱腰外交を非難するものである。ただその非難の矛先がどうも色々と誤解や先入観に基づいているものが多いように思えるので、少し自分なりに整理してみる。

なお以下では、

  • 尖閣諸島は日本の領土である
  • 中国漁船の巡視船への衝突は公務執行妨害、器物破損の容疑である

を前提としています。

まず吃驚したのは、海上保安庁を非難するコメントの多い事多い事。今回の件で海上保安庁を非難するのは明らかに筋違い。彼らは日本の領土、領海を警備する中で今回の拿捕、逮捕へと至る一連の行動をとった訳で、これ自体は正当な職務遂行だと考える。ましてや釈放について何らかの責を負うものでは全くない。

次に釈放を決定した那覇地方検察局に対する批判も多い。これには二通りの非難がある。一つは「たかが一地検ごときが国益を左右する事案を独断で判断するとは何事」という意見。もう一つは「三権分立はどうなったのか」という意見。

前者については、それをそのまま非難する人に対して問い返したい。普通に考えて一地検がそんな判断ができると思うかと。明らかにできない。ということはこれはもっと上位の政治判断なりが存在したという事。那覇地検は今回の件では明らかに貧乏くじを引かされている。個人的には関係者の安全が心配だ。

後者については、私も誤解していたし多くの人が誤解しているようだが、検察は「司法機関ではない」のである。検察はれっきとした行政機関だ。つまりこれは完全に行政の腰砕けそのもの。しかもそれは、どう考えても一地検の独断ではあり得ない。個人的には一番最初に「地検の独自判断と聞いてる」とか嘯いた奴が怪しいと思っている。

さて、今回の中国の対応についても非難は当然上がっております。が、ここからは恐らく大多数の皆様と意見が異なるところです。

私は今回の中国の行動について、日本的価値観からみれば確かに暴挙をやってくれたと思いますが、中国的視点から見れば至極当然の行動をしているとみています。そりゃ当たり前だろう、と言うでしょうか。恐らくそうでしょう。

そこが肝心で、国際関係は所詮国の価値観と価値観とのぶつかり合いです。実のところその価値観の差異、衝突、干渉をどのように緩和し、関係を保つかが重要な訳です。日本の価値観が世界的に通用すると思ってはいけないわけです。まずは個々の国がそれぞれの価値観や拠って立つところを明らかにし、そこから折衝をしなくては行けない。明らかに問題になる状況、例えば人命を損なう様な事態で無い限り、誰の正義も共有できるものではないのです。

実質的に人質になっている某企業の四名の人命を軽んじる訳では決して無いですが、今回の外交は自国の立場を曲げて相手の価値観を一方的に認めただけの結果になった。これは中国の暴挙というよりは、日本の軽薄さだと思います。平和ぼけとは、なるほどこういう事なのかもしれません。危機管理意識が問われているのだと思います。

2010年9月22日水曜日