2011年2月3日木曜日

ウサギとカメ

先日どなたのツィートだったか、botだったか忘れたのだが、有名な「ウサギとカメ」の寓話について面白い解釈があった。なぜウサギはカメに負けたのか、ということについて、目的意識の違いを挙げていたのだ。私の解釈を加えると、なぜウサギは居眠りをしたのかという事だと思う。そして、ちょっと穿って考えて、強者を倒すための弱者の戦略に関する寓話とも思える。

念のためにウサギとカメのお話をおさらい。足の遅さをウサギに馬鹿にされたカメは、山の麓までの競争を持ちかける。スタートするとウサギはどんどんリードをとる。途中の木陰を見つけて、ウサギは一休みする。その間にもカメは着々と歩を進め、ウサギが目を覚ましてゴールに向かうと既にカメはゴールしていた。

だいたいこんな話。もとのツィートは、ウサギの目的がカメに勝つ事だったのに対し、カメの目的はゴールする事だった。だから勝てたのだと言う話であった。正直ちょっとうまく言い過ぎかなと思ったのだが、自分で少し考えてみるとこういう事かと思いついた。

ウサギはカメに対して優越感を持っていた。他者を下に見て優越感に浸るというのは、ありがちな自己賞賛のやり方だろう。「脱兎の如く」という言葉もあるように、ウサギは素早さの象徴でもあるから、これは長所に溺れる人の象徴として与えられていると思われる。

一方でカメは、何の根拠も無く競争を持ちかけている。普通なら負けるとわかっている勝負だ。これはスポ根漫画によくあるプロットの典型例でもある。強大な敵を努力で克服しようとする姿。だがこのカメは別に一ヶ月の特訓の後にウサギに挑んだ訳でもない。その辺りはご都合主義なんだが、とにかく努力と継続を武器に才能豊かな人に挑もうとする人の姿だろう。

その観点で考えると、ウサギの目的は自分がカメより優れている事を示したいだけである。そもそも競争というアイデアを持ってきたのはカメの方であるし、ゴールという目的がウサギに希薄だったのはある意味当然かもしれない。ウサギの目的を考えれば、逆に先にゴールする事はあんまり意味が無いのだ。だってどれだけ自分がカメより早いのかということを示す術が無いから。「ほらここでこんなに差がついてるぞ」ってのを見せつけ続ける事が効果的なんだから、さっさとゴールしてしまっては意味が無い。だからウサギは途中で止まったのだろう。なるほど、ウサギにとってはゴールは目的ではなかったのだろう。

カメにとってはウサギの鼻をあかす唯一の方法は、自分の出した目的を達成する事だったので、当たり前だが途中で休むという選択肢は無い。こちらはできる事を着実にやるしか無いのだ。もちろん、途中であきらめたりさぼったりしたら勝つ事はできなかっただろうからそこは評価する所だろうが、やらなければいけない事をやっているだけ、しかも才能のある人間に無根拠で「勝つ」と言い切ってしまったのだから当然といえば当然である。ただこれが、ウサギの優越感を逆手に取った高度な心理戦の結果であるなら、カメの戦略は多いに参考になる。要は相手に間違ったゴールを認識させて、自分が真のゴールを着実に目指すという戦略だ。

人間40年以上生きてくると、「あきらめずに努力する事が大事だ」なんてお気楽なお題目だけでは生きていけない事が身にしみてくる。だからウサギとカメの話も単なる「努力礼賛」ではないと解釈する方がしっくりくる。なーんか汚れてる気がしなくもないが。

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